一般論として、私は、大きくまとめれば、「政治家」と呼ばれるとしても、二元代表制の大統領制をとる地方自治における地方議員は、行政の長たる首長や議員内閣制における国会議員とは自ずと役割が異なると考えています。
とりわけ、地方分権一括法施行後、国と地方は、対等・協力関係になったとはいえ、国政と比べてダイナミックとも言えず、かと言って、基礎的自治体である市町村と比べても、必ずしも、生活に密着した印象を持って頂けない「県」という仕組みの中で、真の地方分権、敢えて言えば、地域主権を推し進めるために、県議会議員の意味そのものが、今まさに問われていると思います。
特に、政令市となった岡山市において、これだけ多くの県議会議員が必要なのか?意味そのものが問われています。そのことを私は常に意識しています。
執行機関の行政ときっちり対峙できる少数精鋭の政策集団、議決集団たる議会であるためには、行財政改革の実践のためにも、議員定数削減は、避けて通れないと考えています。
また、生き残りを賭けた地域間競争が激化する中で、議会や議員の質が、市民県民の生命・自由・財産を確保できるかという問題に直結します。私は、今ほど、地方議員の役割が重要な時代はないと思います。
加えて、やはり、基礎的自治体である市町村が、より強い組織になることが、市民の福祉に資すると考えます。
しかも、同時に、永田町や霞ヶ関といった国においては、外交、防衛、金融政策、医療福祉水準の維持等々、国の大枠について担当すべきです。
そして、県は、ある意味で、国と喧嘩もしながら、基礎的自治体に、権限、財源、人間の3ゲンを委譲し、自らは、将来的に無くなっていくべき組織であるとも考えています。
しかも、県をより広域の経済、産業振興、防災、交通、流通、大学との連携等々を担当する道州という形に、再編し直す必要はあります。
岡山県なら、石井前知事が提言された「中四国州」を目指すと言うことです。もちろん、急速な市町村合併で、むしろ打撃を受けた町村をいかに守るかというのは、地域主権が絵空事にならないための大きな試金石です。
ましてや、当時、私自身も、当時の総務委員長として、意見書の発議をさせていただいたのですが、岡山市が政令指定都市になり、5年目を迎える今年、内部的にも、県は大きく変わらざるを得ません。
なによりも、国と地方を合わせて、1000兆円を超える財政赤字、これから100年をかけ人口が半分になろうかという我が国において、革命とも言えるほどの行政機構の抜本的な構造改革を行なわなければ、国も地方も、持続不可能です。県の在り方は、持続可能な未来を構築していく、まさに試金石になります。
そして、エネルギー自給率と食料自給率が低いにもかかわらず、領土、国民、主権を守るための外交・防衛施策には、どうしても不安があります。
これらの問題は、県という規模では、対処し難いものもありますが、東日本大震災以降、広域防災、広域交通網などのインフラを考えるにつけても、さらに、広域で考える必要があります。
こうした中、県議会議員は、自らを含めて、県の「創造的破壊」をすることに、存在意義があると私は考えています。
県という組織や、いわんや県議会議員という立場を守る事が、我々の役目ではありません。
それは、地方をより持続可能的に強固にしていくことであり、議決権を持つ議会、その構成員である議員自らが、より政策形成機能を高めて、権限をより強くすることです。
特に、我々、政令指定都市・岡山市選出の議員は、こうした長期的な大所高所からの議論を喚起していくことに、重大な責務があると思います。
加えて、議員定数削減や情報公開といった議会改革についても、世論を喚起しながら、その先頭に立っていく使命があります。
一方で、現下の経済状況の中で行財政改革を維持しながら、スクランブル発進で、緊急的な経済対策・雇用対策をタイムリーに打っていくことは、政治の責務です。
特に、岡山市南区においては、岡山市に権限・財源が大きく移譲されても、防災や農林水産関係では、岡山県の事業が極めて多く、岡山市としっかり連携しながら、職務を全うします。
一方で、我々は、昨年末、中央においては与党に復帰した自由民主党に所属させて頂いているからには、世界や時代の趨勢の中で、我が国の進むべき方向をしっかりと見据え、国政としっかりと連携しながら、地方においても、多数党所属議員の責任を果たす必要があると考えます。
地方にあっても、常に国を思うという意識を持ち、党歌『我ら』の歌詞のように、「一人のしあわせ、皆のしあわせ」のために。
とりわけ、歴史と伝統ある自由民主党は、野党になったからこそ、結党の理念に立ち返り、本来の崇高な理念である「国民政党」に、さらには「改革政党」に生まれ変わりました。
そのためにも、とりわけ我々若い自民党地方議員が、自民党の旗のもと、責任と誇りを持って、日本再生のための改革を地方から推進します。
敢えて言えば、先の自民党政権時代からあった問題が、民主党政権時代に、かえって大きく膨らんでしまいましたが、そのことも含めて、自民党が責任を負うための機会をいただいたものと思います。
まさに、日本を守るための背水の陣であるという危機感と謙虚さをもって、自民党地方議員として、責任を全ういたします。
ところで、私の政治に携わる根底にある思いは、「一度しかない人生において、それぞれの人間が、その人生で、最高の主人公でないといけない。」という願いです。
限りある命ですが、どんな命でも、必ず意味が、理由があります。人生で、その命を輝かせるために、敢えて言えば、政治は、そうした人生の舞台作りの裏方の仕事です。
敢えて言えば、政体の違いは、納税先の違い、要は、再分配の仕組みの違いであり、行政機構は、そのためのシステムにすぎないわけですが、政治の根本は、変わりません。
世の中に、様々な問題や矛盾があったとしても、それぞれ人間が、その人生の主人公として輝けるよう、「愛と夢の公正な分かち合い」のためのシステムを作る、それが、政治の役割だと思います。
本来であれば、政治など無ければ良いのですが、ある意味で、神様のちょっとしたいたずらを修正する仕事です。換言すれば、福祉は、まさに、政治の根底です。
ゆえに、政治は、弱い立場の方のためにこそ必要です。高齢者の方、障がいをお持ちの方、農村部、中山間地域・・様々な格差や社会的矛盾に対して、闘う議員であり続けます。
また、我々人類は、地球上の生きとし生けるもの全てに責任を負っていますが、そういった意味では、我々は、神様の裏方をし、しかし、ここの命が輝く舞台を造るディレクターでもあります。
全てが繋がっているという意味では、環境問題や食の問題、日本型の農業振興にも繋がります。
我々の人生舞台は、愛するこの地球であり、日本であり、なによりもこの岡山です。
我が国や郷土・岡山の繁栄の基礎を創って下さった先輩方に、心から感謝し、祖国日本の素晴らしい歴史と文化と伝統をしっかりと受け継ぎながら、世界の中の岡山を県民皆様の最高の人生の舞台にしたい、それが私の考える政治の根底の思いです。
そのための私の手段・行動規範として、初当選時の選挙以来、「3S(SHOCK、SPEED、SHIFT)」ということを申しております。
換言すれば、「旧弊を打破する」、「効率を上げる」、「官から民へ」ということですが、端的に言えば、現状維持のために、ちんたらはやりません、ということです。
同時に、「WITH」という言葉も掲げてきました。端的に言えば、「協働」です。そういう観点から、NPOやNGOへの支援、また協働は、特に力を入れているテーマです。
市民・県民の皆様のもっとも身近な代弁者として、同時に、混沌とする時代の中で、未知の可能性を皆様と一緒に切り開きます。
どんなに崇高な理念を掲げようとも、物事は、いっぺんには変わりません。思いが、ぶれることがないよう、いつも原点に立ち返り、具体的に出来ることをこつこつやる意外にありません。
ある意味、非常に地味なことですが、実は、それが一番早く、私は、変革は、継続の中から生まれると信じます。
我々は、批評家でも運動家でもありません。他党や他議員が、どうというよりも、私にとっては、私自身が、厳しい現実の中であろうと、とにもかくにも一歩でも前に具体的に進める事こそが重要です。
初当選以来、皆様方のご厚意で、56回の質問をさせて頂けたのも、私が具体的に出来ることです。
もっと言えば、私の平常活動は、2月、6月、9月、12月の年に4回の定例会と、その間の委員会に合わせて動いていますし、それが、議場や委員会室に運ぶことが出来るテーマかどうか、常にアンテナを張っています。
4期目になり、現在は、必ずしも毎議会一般質問が出来なくなっていることは、党としては、むしろ、好ましい状況ですが、登壇のチャンスが頂ければ、量が多い、細かすぎると、幾ら言われようとも、与えられた時間を演壇で完全燃焼する覚悟で、取り組んで参ります。
私は、定例会、本会議は、あたかも株主総会のようである、と説明させて頂いております。すなわち、195万岡山県民の皆様が、株主であり、岡山県を運営する2万人の株式会社岡山県がある。
伊原木知事は、株式会社岡山県の代表取締役社長で、副知事は、副社長、執行部は、取締役会で、要するに、年4回の定例会という名の株主総会があるというイメージです。
我々議員は、定例会において、いわば株主代表訴訟の如く、195万岡山県民の会社である株式会社岡山県の運営が、適正に執行されているのかをチェックすると伴に、なによりも、議決機関として、その運営の方向を定めるわけです。
まさに県民の皆様の声を聞き、かつ、己の政治信条に基づいた皆様の代表として、株式会社岡山県が、決して間違った方向に行かないよう、我々は、議会の席を占めています。
だからこそ、現在の財政赤字についても、議会に大きな責があります。多数決によるとはいえ、議会の議決責任は、極めて重いものがあります。
例えば、倉敷チボリ公園については極めて残念な結果になりましたが、例えば、岡山空港、吉備高原都市等々の大規模事業に対し、あるいは、岡山情報ハイウエイの活用に対して、決してそれらが負の遺産になることがないように、どういう知恵を出していくのかは、当然、我々の議員の責任でもあります。
そして、議決まで、より現状や課題、方向性を明確にするツールとして、定例会の代表質問や一般質問があります。
県民の皆様の代表として、議員の権能、そのツールをいかにうまく行使するか、敢えて言えば、そこが、代表としての議員の真価が、問われるところだと思います。議決責任もありますが、議決にいたるまでの経過を説明する説明責任も、あります。
なによりも、我々は、思想家でも評論家でもなく、具体的に予算をもって執行できるかどうか、という視点は、極めて重要であると思います。批評や批判するのではなくて、一歩でも前に進めていくための提言を心掛けています。
議会は、議決機関であり、追認機関ではありません。議員は、名誉職でも、議会は、追認機関でもないのですから、単に、会議に出席すれば良いというものではありません。また、県民の皆様に、議決の過程が見えないということは、本来あってはいけません。
公の場で、発言して、なんぼです。
ゆえに、私は、本会議場での発言に、あくまでこだわります。
しかも、その発言、その答弁が、株主である県民の皆様に具体的に届くものでないと意味がありません。
そして、定例会、委員会の質問や提言という発言に向けて、私は、必ずしも、不特定、あるいは、多数の方とではない双方向の形で、インターネットを活用しています。
敢えて言えば、サイバー上のブレーンとも言える本当に多くの方々が、力を貸して下さってます。
私の知識が足らずとも、それを知っている方を知っていることで、オールマイティーの議員活動が出来る、質問の分野が多岐に渡るのも、本当に多くの方の力が結集しているからです。
そのことは、代弁者として決して一人よがりにならないという己への戒めでもあります。
ちなみに、本会議での議事録はこちらから、容易にご覧頂けます。
http://www.pref.okayama.jp/syokyoku/gikai/gikai.htm
例えば、岡山県が、世界に先駆けて、岡山情報ハイウエイをIPv6化したわけですが、最初に定例会で、私が提言できましたのも、こうした双方向のやり取りの中から生まれたIT勉強会の中からの発案でありました。
また、全国に岡山方式として紹介された100人、200人体制の「落書き一斉消去活動」を行った「落書き調査隊」が創設できたのも、ネットがあったからです。この活動は、もとはといえば、町内会規模の活動が、燎原の火のごとく、全県に広がり、今年度、おかやま国体開催前の県の環境施策の目玉として、全県下での一斉消去大作戦に繋がりました。
全国でも先駆的と評価されている新生児聴覚検査導入など、まさに、枚挙に暇がないほどの質問や提言が、ネットの中から生まれてきました。
最近では、公の施設の見直しの中で、取り壊しの方向で進んでいた岡山市北区伊島町の県立児童会館を生涯学習センター未来科学棟として、蘇らせたことや、南区の内尾県誘致へのメガソーラー立地の見直しなど、行政サイドからは、やや過激とも言える発言は、こうした声に強く押され、また支えていただいたものです。
ちなみに、いわゆるメルマガの部類に入る私の通信は、16年目を向かえ、既に、5000号を超えています。
私にとっては、もはや、後述の政策形成機能のみならず、議員活動そのものの形成機能、人生形成機能を果たしていると言っても過言ではないでしょう。
ただ、この「佐藤真治のこころ」という通信は、あくまで、お互いに顔の見える双方向の関係を意識してのものであり、基本的に、私自身が存じ上げている方への配信です。
ゆえに、ホームページの掲示板やメルマガ配信システムを利用した不特定多数の方に対するものではありません。もちろん、転送される可能性もございますが、それは、相互の信頼に基づくものであり、ゆえに、「こころ」という、議員である前に人間としての生の声を発するのです。
そんなこともあり、私の企画する会合は、政策勉強会か、逆に、くだけた飲み会が多いのですが、オフ会のようでもあります。
こうしたネットワークがある限り、時には、行政よりも、一歩も二歩も先んじた提言が出来る、あるいは、そのためのツールとして、私自身を使って頂けるものと信じます。
ところで、私の理想とするところは、嫌々ながらの義務として情報公開を捉えるではなく、むしろ積極的な情報発信であり、皆様と情報を「共有」することです。そこから、県政を動かすような提言が出てくるのだと思います。
私がいつも申し上げるのは、議員をうまく使って頂きたいということですが、それは、我々議員に、「例外」を認めるよう尽力せよと求めるのではなく、絶対多数の絶対幸福になるような「制度」を作るために一緒に考えていきましょう、ということです。
そのためには、時には、共通の情報、問題意識を持って市民運動的に、世論を喚起したり、ムードを高めていく必要があります。
また逆に、我々議員が、未だ声にならない時代の流れを敏感に感じることが必要です。そういう意味では、インターネットというのは、たいへんにおもしろい道具であり、武器です。
ブログやfacebookも、もちろん活用させて頂いておりますが、やはり、最後は、ホームページにお越しいただきたいという思いがあります。
現在過去の「こころ」、発言等の整理を行い、ホームページにアップしています。http://satoshin.jp/index.html
もっとも、こうした議会活動や、ITネットワークは、活動のごく一部です。全ての方とインターネットでつながるわけではありません。
また、ご案内させて頂いても、多くの方が、例えば、傍聴に起こし頂けません(これは、委員会や議会の開会時間にも問題ありでしょうが)し、なかなか関心を持って頂けないような状況があります。
だからこそ、言うまでもなく、私自身が地域に飛び込んでいって、直接皆様のお話を伺うことが、なにより大切だと考えています。
本当に何気ない会話の中にこそ、県政を動かすような大切な問題が多く含まれています。私は、あらゆる場面で、定例会に、委員会に持って行ける事はないか、常に意識しています。
そうは言っても、ひとたび議場に入れば代表として、しかし、基本的には、珍しくもなんともない地域住民として、違和感も何もなく普通にそこにいたい、「怒りの葡萄」のように、大衆の中に、いつでもどこでもいる、というのが、私の理想です。
最初の選挙の時に、「先生と呼ばれない議員になります」と申し上げた思いは、今も決して変わりません。いつまでも「真ちゃん」で、あり続けたいと思います。時には、歌って踊れる(?)議員として。
もともと、私は、今は無き陶器屋のせがれで、代々政治家の家に育ったわけでもなければ、家が、資産家、事業家というわけでもなんでもありません。
多くの方々に、ご縁を頂戴して、バッヂをつけさせて頂いておりますが、己が、なにか特別な者であるという気は、さらさらございません。お話が出来れば、かなり、議員のイメージが変わるのではないかな、と思います。
是非、様々な会合等に気安くお声がけ頂ければ幸いです。じっくり膝を交えてお話ができればと存じます。
ただ、後厄でもあり、肥満体型を解消すべく、そろそろしっかりした健康管理をしようと考えております。
夜のお誘いも多いのですが、早朝から街頭演説をすることが多いので、深夜は、苦手です。元来、お酒も強くなく、二次会に行くような時間には、好んで外出しませんので、そのあたりのご配慮をよろしくお願い申し上げます。ついでながら、今のところゴルフもできません。
一番好きなのは、焼き鳥談義です。